戦国時代、商人の財力は強く、まだ中央集権ではなかったことから堺のように栄えた経済特区も生まれていました。
大名からすれば商人の財力は矢銭調達の重要な財源となるので徴用の対象になります。
とはいえ、諸国大名が商人に矢銭をせびったところで商人が笑顔で金を貸してくれるわけではありません。
戦国時代を見ると、商人と諸国大名にはさまざまな確執が見られます。
たとえば織田信長が最初に施行した楽市・楽座は既得権や不入権を持つ特権的な商工者を排除する目的で作られた自由取引市場であり、大名の絶対的領主権の確立を目指すものでした。
織田信長といえば苛烈であることが有名で、その所業には背筋が凍るほど冷酷な出来事もありますが、当時、海運業で財を成した境に矢銭二万貫の徴用を申し付けた時は意外なほど政治的行動を取っています。
矢銭二万貫といえば、現在の貨幣価値に換算すると500~600億円の価値があるとも言われ、徴用としては類を見ない額です。
もっとも、明や南蛮との貿易で潤っていた境から見れば出せない額ではありませんが、境をまとめる会合衆を真っ向から反対、畿内を治めていた織田信長と真っ向から対決する姿勢を取りました。
本能寺を焼き払うほど烈火の性格を持つ信長、対して金はあっても戦は素人の境商人、結果は火を見るより亜からかですが、信長の取った行動は、というと…。