七福神に名を連ねている大黒天はふたつの俵の上に乗り、大きな袋を抱えて打ち出の小槌を握っているという、いかにも商売繁盛の神様に相応しい容姿をしていますが、出身がインドのヒンドゥー教で、しかも戦闘と財福と冥府の神様だっただけに大黒天だけを本尊としている神社はあまり多くありません。
神仏分離によって大黒天を祀っていた神社は大黒天が習合した大国主命を祀り、大黒天は寺院に祀られているケースが目立ちます。
日本で最初に大黒天を祀ったといわれているのが大阪は曳野市、町名も大黒という大黒寺。
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役行者が金剛山で修行をしていた時、五色の雲に乗って現れ、「我は福を与える神、縁ある地に我を祭り、祈願する道場とせよ」と告げたことから大黒寺が創建されたそうです。
役行者、つまり弘法大師ですね。
弘法大師にまつわる話はどうも現実味に欠ける話が多く残されていて胡散臭い部分があります。
まあ、そこが面白いといえば面白いのですが。
この大黒寺には大黒天の大きな石像が建てられており、寺院ではありますが、御祈祷も行ってくれるそうです。
ちなみに日本独自の大黒天、子孫繁栄の神様でもあります。
子沢山の大国主命と習合したことがその理由のひとつですが、石像を後ろから見れば誰もがきっと、納得するでしょう。
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