戦国時代を終わらせ、現在の首都東京に通ずる江戸幕府を作った徳川家康、寿命を全うしたのは75歳といわれています。
当時としては長寿で、関ヶ原の戦いの時は59歳、豊臣家滅亡の時は74歳。
つまり長寿だったからこそ、天下を取れたともいえます。
その家康、健康志向と吝嗇家だったことはあまりに有名。
つねに戦場でいた時の食事を好み、麦飯と魚、野菜の煮付け、納豆など庶民と変わらぬ食生活を送り、けっして過食せず、酒も強かったけれど嗜む程度に押さえていた、とか。
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また生薬については薬剤師顔負けの知識を持っており、その知識を元にして自分で薬を調合、腎臓や脾臓に効果を発揮するという八味地黄丸を日常的に服用していたそうです。
吝嗇に関しては面白いエピソードがいろいろ残っており、武士が座敷で相撲を取っていたら畳を裏返しにしろ、とか、新しい服を着ないために侍女から洗濯が大変なので新しい服を着て欲しいと懇願されたら「天下のために倹約するのだ」と逆に侍女に説教をした、とか、とにかく枚挙に暇がありません。
聚楽第まで作り、長宗我部元親の差し出した鯨や加藤清正が献上した虎を属したという豊臣秀吉とは対照的ですね。
人間、やはり事を成し遂げるためには健康第一。
商売繁盛を満喫するためにも健康にはくれぐれもご留意を。
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