織田信長は短期間で天下の統一を目前まで完成させましたが、短期間で地方大名の庶家から台頭してきた要因のひとつは合戦の勝ち数にあります。
戦国時代、合戦勝ち数のもっとも多い大名は豊臣秀吉の84勝、次いで織田信長の59勝です。
豊臣秀吉の勝ち数が多いのは後述しますが、やはり群雄割拠の中で頭ひとつ抜きん出た存在といえるでしょう。
勝ち数を多くできたのは、どの大名よりも早く兵農分離を行ったことも関わっています。
農家の長男を徴用するのではなく次男や三男を徴用、農業に従事させず専業兵士として育てました。
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そのために大量の軍資金が必要だったので楽市・楽座を制定したり、商人から矢銭の調達を盛んに行ったのです。
農閑期に農民を徴用して合戦を行う、というアマチュア的な発想から専門的な兵士、戦うプロ集団を作り上げたことが織田信長を短期間で天下統一までのし上げました。
合戦の仕方を変える、とは、市場に自分の有利な新しい需要を作ってしまう、ということ。
それまで他の人が切り売りしていたパイよりずっとおいしいパイを作り、その切り売りしていたパイを無駄にさせてしまうほどの力を持っています。
iPodが登場した時、ソニーはもっと危機感を持っていれば、iPhoneがここまで日本国内で需要を伸ばすこともなかっただろうに、というような話ですね。
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