髪の毛は、古代から神聖なものとされていました。
願掛けの際には、髪を神に捧げ、奉納していたほどです。
髪の毛は生きている身体の一部です。
それを身代わりとして、寺社に納め、願掛けをしたのでしょう。
今では髪の毛を納めるような寺社はほとんど見られませんが、東本願寺には髪の毛で作った手綱が残っていたりして、その頃の様子を垣間見ることができます。
髪の毛は、その成長が最も見て取れるところです。
何ヶ月も放っておけば、たちまち伸びてしまいます。
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そのため、自分が生きているのを実感しやすく、特別視されたのでしょう。
今でも、髪の毛を伸ばす、あるいは切ることに対して、願いを込めることがあります。
『願いが叶うまで髪を切らない』『願い事を叶えるために髪を切る』というものです。
伸ばすことと切ることは反対の事柄ですが、願掛けとしては同じです。
髪の毛を伸ばすということは、目に見えてその日々を実感することです。
『願掛けをして、ここまで髪が伸びるほどの日々が経ったのだな』と思うでしょう。
長い髪は、お手入れが面倒なもの。
早く切りたいと、願いを叶えるために躍起にもなるはずです。
また、今までの長い髪を切るのも、思い切った決断です。
願掛けに対する、大きな気持ちがそこに現れるでしょう。
また、髪の毛には穢れが溜まるとも言われています。
思い切り切ることで、それらが落ち、願いを叶える力になるかもしれません。
思いっきり伸ばすか、思い切って切るか。
髪の毛に願いを掛けるのです。
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