さらに遡って平安時代まで行くと今度は公家社会となり、婿を取ることでお家の安泰を図る婿取婚の時代になります。
ただし皇族と臣下との通婚を禁じること、という戸令(現在の民法のようなもの)があったので、誰でも男なら婿に入れるわけでもなかったようですね。
皇族は男性が女性の許に通い、女性が男性を生涯の伴侶と認めれば女性側の家から男性側の家に打診が行われ、男性側に婚約の意思があれば男性側から柳の枝の先に吊るした恋文を文使いが女性側に届け、女性側は親族がその恋文を見て婿と認めると、衣服など婿入り道具を文使いに持たせることでめでたく婚約が成立したそうです。
そういえば源氏物語の光源氏も左大臣の娘、葵の上の許に通っていましたね。
もっとも、この婿取り婚は皇族の話。
一般庶民の結婚は通婚、あるいは妻問婚と呼ばれる結婚形態でした。
家父長制度の始まる前の日本は母系氏族、つまり集落の団体は女性によって成立しており、生まれた子供は集落の母親全体に育てられました。
男は、というと農作業など収穫の担い手で、独自の田畑と家を持っていたので気に入った女性を見つけて求愛し、成就すると結婚しますが、同居はせずに夜になると妻の許に通い、子作りを済ませた後は自分の家に帰って翌朝の農作業に備えるべく休息を取っていたのです。
武家社会が訪れる前の庶民の結婚生活、じつはとてもおおらかだったんですね。