もうすでに、主任クラスの保育士となった友人。
泣き笑いをしながら頑張っていた若い頃の姿を思うと、今の姿はなんと頼もしいことか(笑)。
保育士になりたい!と中学校時代から話していた彼女は、卒業アルバムの欄にも、「将来の夢」は保育士(当時は保母さん)でした。
その夢をしっかりかなえた彼女は、大学を出てすぐに、地元の保育園で働きはじめました。
彼女は、今までの学習、実地にはなかった子供の本当の素顔に触れ、戸惑い、またそこにやりがいも見つけてきたといいます。
保護者の方も十人十色。お子さんの教育に熱心な方、お父様が保育に関して熱心なご家庭。
本当に様々だったようです。
でも、30年以上やってこれたのは、やはり子供の笑顔、だったといいます。
できなかったことができた時の喜び、また悔しさを知った顔、怒り、泣き笑い、毎日、子供の表情に、励まされてきたそうです。
地域の保育園を制覇し、たくさんの保育士さんと出会い、そして今若手を指導する立場の難しさに、一生懸命になっている彼女がいます。
指導する立場になって、また子供への接し方、見方というものが変化した、と彼女は言います。
普段保育する時、その保育士がどのような保育をするかによって、元気な教室、真面目な教室、やはり色々な色、というものが出てくるそうです。
その色からはみ出る子、そういう子が、いるからこそ、保育はやめられないのだ、といいます。
一筋縄ではいかない子、必ずいるそうですが、そういう子が卒園する時は、保育士は号泣。
結局、その一筋縄ではいかない子がいたから、1年間が楽しく、そして卒園児もまとまるのだ、と感じたそうです。