キリスト教には、先祖供養という考え方がありません。
先祖を敬うことはしますが、拝むようなことはないのです。
キリスト教では、神様はキリストのみです。
崇拝してしまえば、亡くなった人が神格化してしまいます。
それはキリスト教のような一神教では許されないのです。
お墓参りという行為も存在しますが、決して重要視はされません。
亡くなった人は神の元で安らかに暮らしている、と考えられています。
そのため、お墓参りでは故人に思いを馳せ、神様に感謝の気持ちを捧げるのです。
また、お墓や亡骸も重視されていません。
キリスト教の国では、例えば海で船が事故にあって沈んでしまった際、遺体を必要以上に回収しません。
もう亡くなってしまえば、それ自体にはあまり意味がないと考えるからです。
仏教に親しむ人には、それが不思議に感じます。
逆に、キリスト教の人からすれば、お墓や亡骸にこだわる気持ちがわからないでしょう。
そのように、キリスト教と先祖供養とは、相容れないものなのです。
ただし、キリスト教で大事なのは、人を愛することです。
聖書の中に「あなたの父と母を敬え」という言葉があります。
それは先祖を敬い、思いを馳せることです。
先祖供養とは違いますが、あなたや故人がキリスト教なら神に感謝し、先祖を敬いましょう。
それがキリスト教なりの先祖供養なのです。