江戸時代、男尊女卑の社会で、なかなか女性からは離婚ができませんでした。
離縁状を交付して離婚が成立するのですが、それは男性からしかできなかったのです。
そんな中、女性が離婚したいときに駆け込むお寺がありました。
そこに入り尼僧として修行することで、離婚を成立させるというお寺です。
そのお寺を縁切り寺と呼びました。
縁切り寺では女性からの離婚請求を受けて保護し、離婚調停を開いていました。
その権利は幕府からも認められ、公式なものとされていたのです。
尼となるのは最終手段で、そこまでしなくても調停で離婚が成立することが多かったようです。
鎌倉の東慶寺、群馬の満徳寺などが有名です。
主に武家が発展してきた地に縁切り寺があるのが、当時の武家社会を物語っているようです。
その制度は、明治時代に縁切りの寺法が廃止になるまで続きました。
しかし、今でも縁切りを願う人は訪れます。
満徳寺には『縁切・縁結厠』と呼ばれるものがあります。
厠とはトイレのことです。
これは二つのトイレが並んでいて、一方は縁切りの、一方は縁結びのトイレで、そこに願いを書いた縁切札・縁結札を流すのです。
切りたい縁も結びたい縁も流れ、縁が廻ってきます。
江戸時代のように、男女の仲でなくても構いません。
人間関係や悪習などを流してもいいのです。
縁を流して、前に進みましょう。