「願掛け」カテゴリーアーカイブ

願掛けグッズ!エケコ人形

南米にエケコ人形という願掛けの人形があります。

テレビなどでも度々取り上げられ、知っている人も少なくないでしょう。

エケコ人形は福の神と言われていますが、あまり神様らしい風貌ではなく、陽気な南米の男性のように見えます。

神様と言われなければわからないほどですが、何でも叶えてくれるとして人気なのです。

エケコ人形に欲しい物を持たせれば、実際にその物が手に入ると言われています。

ただし、エケコ人形は20cmもないぐらいの大きさです。 続きを読む 願掛けグッズ!エケコ人形

名画に学ぶ願掛けの方法

人は昔から神様などに願掛けをしてきました。

それはどの国でも同様です。

世界各国には様々な願掛けがあり、願いを叶えてくれるようにと祈る姿は、どこの人も変わりません。

海外に行けば、その国なりの願掛けを見かけるでしょう。

オードリー・ヘプバーン主演の名作映画『ローマの休日』。

この中にも願掛けを見つけることができます。

作中に出てくるトレヴィの泉。

後ろを向いてコインを投げ入れると、願いが叶うと言われています。 続きを読む 名画に学ぶ願掛けの方法

願掛けは気持ちを込めて

願掛けに大事なのは、信じる気持ちです。

どんな願掛けだろうと、疑う気持ちがあれば、きっと叶わないでしょう。

逆に、誰かにとっては眉唾のようなものでも、信じて行えば強力な願掛けになるのです。

ただし、願掛けだけで願いが叶うわけではありません。

願掛けはあくまでサポート的なものと思ってください。

ベースになくてはいけないのが、自らの努力です。

夢や願いを叶えるためには、並ならぬ努力が必要です。

勉強しないで受験に合格することはなく、勉強した上で、プラスアルファで願掛けを行うのです。 続きを読む 願掛けは気持ちを込めて

願掛けをするのはそこに神様がいるから

苦しい時の神頼み。

困った時は苦しい時、誰でも自力解決できないと思って神様や仏様に願い事をしたくなりますが、このことわざは普段、信心深くない人が困った時や苦しい時だけ神社仏閣に行って願い事をするという事例が転じて、困った時や苦しい時だけ、それまで疎遠だった親類縁者、あるいは友人に助けを求めるという意味です。

別不信心な人が困った時や苦しい時だけ神様や仏様に頼っても、神様や仏様はその願いを受け入れないほど心が狭いわけではありません。 続きを読む 願掛けをするのはそこに神様がいるから

日本人なら一度は聞いたことがあるお百度参り

お百度参り。

この言葉を聞いたことがある人は多いはず。

強い願い事がある時、神社仏閣で100回お参りすることですね。

気が向いた時にフラッと神社仏閣に行って合計100回だから、ではお百度参りにはなりません。

まず神社仏閣の入り口から拝殿・本堂まで行き、正式な参拝と願掛けを行い、入り口まで戻るまでを1回とし、これを連続して1日100回することでお百度参りとなります。 続きを読む 日本人なら一度は聞いたことがあるお百度参り

大飢饉の年に起きた御所千度参り

お百度参りぐらいでは願掛けが通じない、やはり本気で願掛けするなら千度でなければ。

その事例が御所千度参りです。

時は江戸時代の天明7年。

天明と打ちこわしが有名ですね。

とくに7年は冷夏や浅間山噴火、江戸の大洪水に加えて政策が庶民と富裕層で格差が大きかったことから飢饉や不満から江戸の町では大暴動が起きた年です。 続きを読む 大飢饉の年に起きた御所千度参り

願掛けで実現した京都の飢饉救済

京都で起きた御所千度参りの続きです。

天皇や貴族が幕府の政策に口を出すのは禁中並公家諸法度違反になるので、どれほど御所千度参りをしたところで政策が変わるわけではありませんし、庶民がそれを知らないわけでもありません。

それでも庶民が御所千度参りをした、ということはそれだけ幕府に対する信頼が薄かったことでもあります。

最初に動いたのは現在、最後の女帝となっている後桜町上皇。

時の光格天皇はまだ10歳になったばかりで、二代前に当たる後桜町上皇は光格天皇の指導など後見人的役割を担っていました。 続きを読む 願掛けで実現した京都の飢饉救済

願掛けは仏教でも神道でも構わない

願掛けをする時、「神様、仏様」とよく耳にします。

願掛け、どちらにしたらいいのでしょう?

結論から言うとどっちでもいいし、両方に願掛けしても構わないのです。

日本は古来、八百万の神に代表されるように神道の国でした。

しかし西暦552年に仏教が伝来すると仏を「蕃神(ばんしん:隣の国の神という意味)」として崇めるようになります。 続きを読む 願掛けは仏教でも神道でも構わない

平和的願掛けはお釈迦様に

神様という概念じたい、土着性が強いので日本の神道が宗教ではないという定義は世界中の神様を否定する行為でもありますが、宗教論になると長くなるのでここでは願掛けする神様、仏様の話に戻すことにします。

まずは仏教。開祖はお釈迦様とされていますが、仏教の宗派にはいろいろな考え方があります。

お釈迦様1人が仏教を作り出したわけではなく、それまでに悟りを開いた人(これを仏陀という)の累積した修行の成果だという説や釈迦そのものが輪廻転生を繰り返して生まれ変わった仏陀の姿だとか、とにかく宗派によって違胃があります。 続きを読む 平和的願掛けはお釈迦様に