「言霊と言葉の力」カテゴリーアーカイブ

言葉に込められる強い意思

心に強く残る言葉があります。

その言葉によって人生の進む道を決めた人もいるでしょう。

その言葉によって悩みが一気に解決した人もいるはずです。

その言葉は偉人が発したものであるのか、それとも市井の人が言ったものか、または恩師、両親、友達であるのか、それは大きな意味を持ちません。

その言葉が強く残っていることに意味があります。

しかし、案外と心に残る言葉って、他の人も同じことを言っていることが多いんですよね。 続きを読む 言葉に込められる強い意思

我々は60年代のうちに月へ行く

We Choose go to the moon.

1962年9月12日、時のアメリカ大統領、故・ジョン・F・ケネディ氏はライス・スタジアムで演説、8分40秒辺りで、我々は月へ行くという選択をした、と言いました。

続けて、60年代が終わるまでに月へ行く、と。

1950年代後半から1960年代前半、アメリカと当時のソビエト連邦は資本主義・自由主義陣営と共産主義・社会主義陣営の盟主として対立していた冷戦の真っ只中で、何事においても米ソは対立、なかでも宇宙開発は両国の科学力の結集と見られ、激化していました。 続きを読む 我々は60年代のうちに月へ行く

言葉に宿ったケネディの魂

1962年(実際には1961年にケネディ大統領は議会でアポロ計画について演説を行っています)、ケネディ大統領は60年代の終わりまでに、人類を月へ運ぶ、と約束しました。

それはソ連よりも先に月へ行く、という意味でもあります。

アメリカ国民は多いに高揚しましたが、しかしNASAのアポロ計画はけっして順調とはいえず、1966年のサターン1B型の軌道実験でも軌道を外れるという失敗を犯しています。

そして1967年、アポロ1号の発射予行練習を行っていた時に電気系のショートによって船内純粋酸素が引火、船長ガス・グリソム氏以下2名が火災によって死亡するという事故が起きます。 続きを読む 言葉に宿ったケネディの魂

SNSに漂う悪い言霊の正体

言葉は、1人のカリスマ的存在から発せられただけでも世界を正の方向にも負の方向にも動かすことができ、また無名市井の人々でも集結すれば数の論理として状況を一変させる力を持っています。

日本において古来、声に出した言葉は事象に対して何らかの影響を及ぼすと考えられ、良い言葉は良い事を引き起こし、災いをもたらす言葉は凶事を招く力があると信じられていました。

これが言霊です。

つまり、言葉の力は良い方向だけでなく悪い方向にも働く、というもの。 続きを読む SNSに漂う悪い言霊の正体

言霊の元になる言葉の発生は?

コミュニケーションのひとつの方法として言語は重要な役割を果たしています。

ただし、この言語の発生については各学問の研究者たちがそれぞれの視点から歴史を研究していますが、明確な発生点を見いだせないままのミッシングリングとなっています。

ミッシングリングに対する学問の興味深いところは物的証拠や論理的推移に基づきながらも、それぞれの学問的見地からさまざまな発想が生まれることです。

たとえば、言語哲学者であり言語学における第一人者のエイヴラム・ノーム・チョムスキー氏は、瞬間的に、ほぼ完全な形で、霊長類の一個体に突然変異が起こり、言語能力が備わったと主張しています。 続きを読む 言霊の元になる言葉の発生は?

言霊はシャーマンから始まった

古代、日本に限らず世界中で神は抽象化、または偶像化されて存在していました。

この神様、厄介なことに目に見えなければ言葉も話しません。

そこで登場するのが神の言葉を民衆に伝える翻訳家。

巫女や呪術師、祈祷師などといった超自然的、超人間的な能力を持った人たちですね。

基本的に世界各地、このシャーマンが発する言葉はシャーマン自身の言葉ではなく、シャーマンを依代としている神の言葉となります。

このシャーマンが発する言葉は田植えの時期だったり、村長を決める要素だったり、隣村との戦いの日取りだったり、その停戦日だったり、と重要な決め事なわけですね。 続きを読む 言霊はシャーマンから始まった

言は事に通ずると考える日本

世界各国の言葉に込められた不思議な力と、日本の言霊には少しばかり違いがあります。

日本では万葉集にも詠まれているように言は事に通ずる、という意味を持つことから言と事は混同して使われていました。

その典型的な例が日本神話に登場する八重事代主神。

天皇を守る御巫八神のひとつに数えられる神様で、託宣、つまり神が発した言葉の媒介を司る神様ですね。

八重事代主神は八重言代主神、とも表記されます。 続きを読む 言は事に通ずると考える日本

慢心が言葉の魂となって命を落とす大和武尊命

言挙げ(ことあげ)が日本の歴史上に登場するのは古事記。

日本最古の歴史書であると同時に壮大な神々の物語でもある記述書で、言挙げに関わったのは、かの有名な大和武尊命(ヤマトタケルノミコト)。

第12代天皇の第二子皇子で、古事記では東西の蛮族を打ち破り、日本各国に存在する荒ぶる神を退治する暴れん坊ですが、最後は近江の伊吹山で命を落とす事件に遭遇します。

伊吹山の神を退治に出かけた大和武尊命は途中で白い大きなイノシシと出会いますが(日本書紀では大蛇ですね)、このイノシシは伊吹山の神の化身、したがって今、殺さずに帰りに殺そう、と声を上げます。 続きを読む 慢心が言葉の魂となって命を落とす大和武尊命

日本の神は自然への畏怖から生まれた

最初の言挙げで登場するのが大和武尊命(ヤマトタケルノミコト)。

慢心を言葉に出したことから命を落とすことにつながり、言葉に込めた慢心という意思が悪い方向に導くことになるという言挙げになるのですが、ここで言挙げと少し離れ、日本神話の話を。

大和武尊命が死亡するのは荒ぶる神の退治が目的だったことですが、ここで、なぜ神を神が退治するのか、という疑問ですね。

これ、一神教ではありえないことです。

神は唯一無二、絶対的な存在ですから。 続きを読む 日本の神は自然への畏怖から生まれた