願掛けで実現した京都の飢饉救済

京都で起きた御所千度参りの続きです。

天皇や貴族が幕府の政策に口を出すのは禁中並公家諸法度違反になるので、どれほど御所千度参りをしたところで政策が変わるわけではありませんし、庶民がそれを知らないわけでもありません。

それでも庶民が御所千度参りをした、ということはそれだけ幕府に対する信頼が薄かったことでもあります。

最初に動いたのは現在、最後の女帝となっている後桜町上皇。

時の光格天皇はまだ10歳になったばかりで、二代前に当たる後桜町上皇は光格天皇の指導など後見人的役割を担っていました。

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後桜町上皇は御所にあったリンゴ3万個を千度参りする庶民に配ると、それに追従するように貴族たちも茶や握り飯を配るようになり、さらに10歳の光格天皇は事態を重く見て江戸幕府に民衆救済を要求しました。

まだ10歳なのにすごい覚悟です。

禁中並公家諸法度違反は承知の上ですから。

しかし江戸幕府は米1500俵を京都へ放出、光格天皇の禁中並公家諸法度違反は不問にするという決定を下しました。

ある意味、御所千度参りの願掛けが奇跡を呼んだ、と表現することもできますし、民衆デモが政策を動かした、とも表現することができます。

とりあえず、このコラムは願掛けトリビアなので前者の表現としておきましょうね。

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