お百度参りぐらいでは願掛けが通じない、やはり本気で願掛けするなら千度でなければ。
その事例が御所千度参りです。
時は江戸時代の天明7年。
天明と打ちこわしが有名ですね。
とくに7年は冷夏や浅間山噴火、江戸の大洪水に加えて政策が庶民と富裕層で格差が大きかったことから飢饉や不満から江戸の町では大暴動が起きた年です。
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ちょっと今の日本の情勢に似ています。
それはともかく。
飢饉や暴動の中心は江戸から東北方面が主でしたが、その飛び火は当然、関西にも及びます。
最初は庶民も所司代(朝廷関係や近畿地方の諸事を取り扱っていたところ)に不満を伝えますが、江戸時代は幕府の中央集権が強かったので所司代は何もできません。
こうなれば庶民の願掛け対象は神様。
最初は少人数が京都御所の門の前でお参りをしただけでしたが、やがてその人数は日増しになり、京都御所の周囲を回り始めました。
6月10日にはおよそ3万人、その1週間後の18日には7万人に達したと言います。
集まった人は京都だけでなく御所千度参りの噂を聞きつけ、河内や近江、大坂から来た人もいました。
こうなるとお参りではなく、一種のデモ行進ですね。
事の顛末は次項で。
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